馬関祭りの始まりは、高度経済成長が終わり戦後初の実質成長率マイナスを記録した昭和49年、下関青年会議所が街の活性化のために「歌と踊りとみんなの夜市」を下関市体育館周辺で開催したことが誕生のきっかけでした。
第4回「歌と踊りとみんなの夜市」は「市制88周年記念祝賀市民祭」として開催され、「市民祭」として広く市民に認知されました。
翌年には市民公募により「馬関まつり」と命名され、昭和53年に第1回を開催。ここから「馬関まつり」として新たな「市民祭」の歴史が始まりました。
現在では山口県下最大40万人を超える人出で賑わうまつりへ成長し、下関市民に夏の終わりを告げる風物詩として開催されています。
目玉の平家踊り・平家踊総踊り大会、よさこい大会に和太鼓など、子供たちから大人までみんなで楽しめるお祭りとなっています。